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その9 問う どれにする?②

前回。
私のおばあちゃん。つなさんのお話しをしていました。
思いの外、長くなってしまったので、今回はその続編です。

つなさんが亡くなった日の夜のこと。
家族会議で遺影を決めることに。

と言うのが前回までのお話。

前回のお話しはここから

つなさんは、典型的な昔の人・・・というか。
なんて言うんでしょう(笑)
きちんとしていないことを嫌う人でした。頑固じじい的な(笑´∀`)
ものには順番があって、その為の準備とか優先順位とか、段取りとか、格好とかも含めて、そこに相応しいかどうか、色んな場面でよく叱られました。
学生の頃の私にとっては「面倒くさい」以外のナニモノでも無かったですけど。今はそれが必要なことがよく分かります。
なので、ちょっとサボってすっ飛ばしたりすると、「これ、つなさんにバレたら怒られるやろな・・・。」ということが起きます。気持ち引き締めてやり直すんですけど。

つなさんは、洋服や持ち物もこだわる人でした。
こだわるというか、妥協をしない人だったのだと思います。
襟がない服や七分みたいな中途半端な長さの洋服は着ませんでした。
ボタンや装飾が派手過ぎるものは自分好みのものに付け替えて使っていました。派手すぎず、だらしなく見えない、尚且つ使い勝手の良い物を選んでいたように思います。
なので、遠い場所で暮らす娘さんから届くちょっとお高めのオシャレな洋服より、私の初任給で買えるような安価でも使い勝手の良い襟付きのしっかりした洋服を好んでくれました。その代わり、つなさんに洋服をプレゼントするときは、すごく探します。めっちゃ探して出会わなければ延期ですww

何が言いたいかというとですね。
当時の私は、つなさんのことを全て分かったつもりでいたのです。

私が、遺影の第一候補に初節句の時の写真を選んだのは、つなさんの洋服がちゃんとしていたからです。お祝いの席に、つなさん本人が気に入らない服を着てくるわけがないのです。もしも、表情だけで選んだら「その服の写真は使って欲しくなかった。」そんな風に言われる気がしました。
遺影の場合、洋服を着せ替える(合成写真を作る)ことは特別な事ではないし、うちにはその道のプロがいますのでwwいくらでも出来るのですが、身体の形(肩のラインとか)までを含めてつなさんのような気がして、その着せ替えを私が拒否したのです。

着せ替えもせず、トリミングだけで使える。しかもお気に入りの洋服。初ひ孫のお祝いの席での写真。当時、喜んでくれた笑顔が思い浮かびました。
つなさんがこの場にいなくても、きっと「これにしてや」と言うと疑いもしなかったのです。

無事、葬儀は終わり、私達には普通の毎日が戻ってきました。
離れて暮らす私には、つなさんがいなくなった後の生活も変わりなく、過ぎていきます。ただ、母は違います。生活は急に何もかもが変わっているだろうと心配していました。電話とLINEを繰り返すだけでは気がかりで。
四十九日の法要までに一度実家に帰ろうと思ったのです。
実家に戻り、つなさんにお線香を上げていたときのこと。
母は私の後ろにそっと座り、私越しにつなさんの遺影を見上げながらこう言ったのです。
「 葬儀の次の日から、毎朝毎晩、お線香を上げて見上げる遺影のおばあちゃんは、どこかの他人様の様な気がして・・・。
この顔はお母さんが知ってる、お母さんの記憶の中のおばあちゃんの顔じゃないんよ。」
なんとも衝撃的な言葉でした。同時にものすごい後悔です。
悲しいやら、悔しいやら、恥ずかしいやら、もう、やり直したいの一言です。
母が、そんな風に感じているとは思いもしなかったのです。
あの夜、祖母の気持ちは考えたのに、毎日祖母を見上げる母の気持ちまでは考えていませんでした。

亡くなった人の事を想う時、目の前にある遺影は、記憶の中の故人と一致しなければ、その意味を成さないのです。

母は最後までもう1枚の写真とどちらを使うか悩んでいました。
それは私の結婚式の前日の夜。親戚のおじさんが撮ってくれた1枚でした。旅館に泊まった際、浴衣姿で私と一緒に撮ったものです。
今更ですが、「母のお気に入りの表情」と「着せ替えが必要な旅館の浴衣姿」を私が勝手に判断したのです。心が無かったと、反省です。

遺影というものは、【出来るだけ最近の写真】ということでもなく、【なんとなく使えそうな写真】ということでも無く、ご本人はもちろん、ご家族が【納得できる写真】でなければいけないと思いました。

つなさんは本当はどっちの写真が良かったのでしょうね?
ここで、タイトルの「問う」ということですが、
私はもう、つなさんに確かめることが出来ません。

最近は「終活」という言葉がメジャーになり、
私達も撮影の折、ご家族写真のあと、「ついでに遺影も撮ってもらえんやろか」と、当日追加注文を伺うことが多々あります。

お元気でおられる今、遺影をわざわざ撮るということに抵抗はあるかもしれませんが、私は「問う」ことが出来ない経験をしているので、その重要さも感じています。手元にある写真で済ませて、それが気に入らない写真なんて、悲しいじゃないですか。あっ、あと。写真は撮ってなければ探しても見つかりませんからね(笑´∀`)

ついでのお話ですが。
ウチの実家の日本間に並ぶ遺影ですが、会ったこともない曾祖父母の情報は、あの写真だけです。
曾祖父は祖父と違いが分からないほどそっくりで、曾祖母は何度も見ても怖そうな人です。会っていたら多分すぐ喧嘩になりそう(笑´∀`)
遺影っていうのは、会うこともなかった子孫が先祖を知る手がかりになります。怖いおばあちゃんに見えてしまっているのは勿体ないですよね。本当はめちゃくちゃ優しかったかもしれません。

私の遺影は社長にがっつり修正して貰うというのもありかも!
いっそ、社長に出会った頃の私にして貰う・・・。19歳の私(♡´艸`♡)
金髪でブルーのカラコンをしてた・・・。いかん。そんなんいかん。

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