ギャラリー

【モノログ×母の想い】3回忌を終えて

今日は、私の想いをパラパラと書こうと思います。

全く私的なお話でごめんなさい。
実は今日、祖母の命日でした。3回忌を終えたばかりです。
2年前の今日、母から祖母が旅立ったと連絡が来ました。
私はすぐに実家に帰る支度を始めましたが、あの時くらい動揺して何も出来なくなった事は思いつく限り無いかもしれません。
長い間、病気を患っていましたので、心の準備は出来ていたつもりでしたが、いざとなると自分でも驚くほど混乱していました。
その後、祖母の写真を持って帰るようにと母から再度連絡があり、祖母の写真を探しました。

写真の仕事を始めた頃、実家に帰る度、祖母は私に写真を撮って欲しいと幾度となく言っていました。
それは遺影写真のことを指しているのは分かっていましたが、それ程の腕もありませんでしたし、何よりそのようなモノが
必要になるのはもっともっと先の話だと思っていたのも確かです。
結局、何か折に触れてスナップ程度の写真を撮ることはあっても、祖母が望むような写真を私が撮ることはありませんでした。
そして、ついにその時が来てしまった時、私の手元には、祖母が納得してくれるであろう写真が1枚もなかったのです。
仕方なく、祖母が写っている写真をいくつか持ち帰り、葬儀会館で家族と遺影にどれを使うか、という話になりました。
私が、これにすると決めたのは、私の子供の初節句でお祝いに来て貰った時に写したものでした。
生前、洋服や持ち物にはこだわっていた人だったので、きちんとした身なりで写っている写真でないと、納得しないと思ったのです。
母は、私の結婚式の前日。遠方から来て下さった親戚が集まり、旅館の宴会場で夕食を食べている時の祖母の表情が良いと言ったのですが、
旅館の浴衣姿ということが納得できず、それを他の洋服に替えるということも出来れば避けたかったので、祖母のそのままが使えるということを判断基準にし、母の気持ちは置き去りにしてしまいました。
無事葬儀は終わり、私たちには普通の毎日が戻ってきました。
それでも、何か気がかりで、49日の法要よりも少し前に一度実家の様子を見に帰ったのです。
その時、母に言われた言葉があまりにも衝撃的すぎて、今思えば、この仕事をしなくてはいけないような気持ちになったきっかけだったように思います。
「葬儀の日から、毎朝毎晩、お線香を上げて見上げる遺影のおばあちゃんは、どこかの他人様の様な気がして・・・。
この顔はお母さんが知ってる、お母さんの記憶の中のおばあちゃんの顔じゃないんよ。」
母は、お線香を上げる私の隣で、そう話しました。そんな風に感じているとは思いもしなかったのです。祖母の気持ちは考えたのに、毎日祖母を見上げる母の気持ちまでは考えていなかったのです。

亡くなった人の事を想う時、目の前にある遺影は、記憶の中の故人と一致しなければ、その意味を成さないのではないかと初めて感じました。
写真を”仕事として見る”のではなく、当人の気持ちを持って関わらなければいけないのだと母に教えられました気がしました。
慌てて、母が選んだ写真に変えたのは言うまでもありません。
遺影というものは、”出来るだけ最近の写真”ということでもなく、”なんとなく遺影に使える写真”ということでも無く、
ご本人はもちろん、ご家族が”納得できる写真”ということが大切なのではないかと思います。
「おばあちゃん、この写真でいい?」と聞くことが出来れば良いのですが、それは不可能なので・・・。
祖母はきっと、母が感じた”他人のような気がする””おばあちゃんじゃないような気がする”といった違和感に感謝しているのではないでしょうか。

2年前の今日、雨上がりに虹が出ていました。
予報は雨だったのに、今日は法事が終わるまで雨は一粒も降りませんでした。
そんな些細なことで祖母を思い出せる温かい1日でした。

ライフフォトとは、ご自分の納得出来る写真を用意しておくということです。
最近は「終活」などと言う言葉が世間でも話題となり、ご自分の死と向き合うという風潮もあるようですが、
一方で、「自分がなくなった後のことなんか心配したくもない」というようなお話を耳にしたりもします。
お元気でいられる今、遺影をわざわざ撮るということに抵抗はあるかもしれません。
しかしいざという時、手元にある写真で作ることは本望でないと思うのです。
また、遺影というものは会うこともなかった子孫が先祖を知る手がかりになります。
その写真の印象が先祖の全てになってしまうのであれば、ご本人が納得出来る写真でありたいと思うのではないでしょうか。
遠い将来、遺影とご家族の記憶の中にあるご自分が一致して貰えるよう、用意しておくということが必要であって欲しいと願っています。

関連記事

PAGE TOP